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毒親のこどもではない

 

 

この6月は怒涛のような1ヶ月だった。上下の激しい人生の中でも、ハイライトとして残りそうな時間。そんな日々を過ごす中、トボトボと自分の足元を見つめて感じたことを書き記しておきたい。

私は所謂DV家庭育ちだった。物心ついた時から、父親が暴力を振るうパターンの。

我が家の大きな転機は、父親が母親の腕の骨を折った際に行政の介入が行われたことで、その当時私は18歳以上だったためシェルターに入所することが出来ず、パジャマ姿でスーツと財布だけ持って警察で夜を明かしたのち、翌朝スーツに着替えてパジャマをスーツケースに収納し、某京都の写真会社の面接に向かったのであった。

(そこから、当時の交際相手だった専門学校の講師(とその母親)との諸々の問題が始まるのだがそれはまた心の整理がついたら別の時に。)

大体こういったDV体験を語ると、決まってそれを嗅ぎつけた他の似たようなのが集まってくるのが世の中の常なので、自分の精神状態が落ち着いて以降、今まで人に話すことはしてこなかった。

が、最近うっすらと自分なりの見え方、人生との折り合いの付け方を受け止められるようになってきたので、言葉にしてみようと思う。誰か、同じように困っている人に届いて、肩の荷をおろすきっかけのほんの一欠片にでもなったら、と願って。

(以下の文、虐待の中でも、性的虐待であったり、取り返しのつかないことを経験された方については、全く当てはまりません。それは親云々関係なく犯罪です。)

 

 

タイトルにある「毒親」という言葉は、近年一般的に知られるようになり、ラベル化されたことで多くの人が自分の置かれた状況に気が付きやすくなった。そういった利点の裏側で、「毒親の子」という「被害者である自分」というアイデンティティに縋ることを正当化してしまい、そこから逃れられなくなっている人もよく見かけるようになった。私自身の身の回りを含めて。

本来なら「不適切な養育があったこと」に焦点を当て、そこへ立ち戻って自身の認知の歪みを知り、少しずつ生きていきやすいように試行錯誤していくことが、個人の人生を楽にしていくのだと思う。

しかし人間というのは不器用な生き物で、一旦ラベルのついた収納ボックスがそこに置かれてしまうと、何でもかんでもそこに放り込んでしまいたくなって、頭の中が「嫌悪するもの」でいっぱいになるまでその人のことを考えてしまったり、逆に「私の憎むあの人とは反対のことをしよう、あの人がしていたことだから、これは間違っているに違いない」といった、偏った思考や生き方になってしまう。

「嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い」で頭をいっぱいにすることだって、「毒親」を反面教師にすることだって、外から見てみれば、ずっとその「毒親」を基準に生きていることになるのだ。あんなにも逃れたかった存在なのに。

 

 

じゃあ、結局の所どうしたらいいのか。

自分が全てを呑み込んで、赦せというのか

 

そんなことはしなくていいと思う。赦さなくていい。

ただ、「毒親」をいう概念を捨てられないだろうか?

 

「あなたには良い所も悪い所もあった。最悪で許せないし、また、努力していたのであろう部分もあった。でも、その時の私にとって、あなたがしたことはやはり不適切であり、幸せではなかった」

・・・この位のところで一旦その親を自分自身の中から手放して、あとは本当に「自分」がどう生きたいのかを白紙で考えて過ごすことが出来たら、いつか気がついた頃に、心から笑える日が来ているのではないかな、と思うのです。

 

私たちは「毒親のこども」ではなく、「自分」の人生を生きるに値する、と。

 

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

今現在、苦しんでいる人、孤立を感じているひとたちが、必要な助けを得られることを心から祈っています。手を伸ばせは、助けてと声を上げれば、必ず助けてくれる人たちはそこにいます。

その声を上げることが一番困難であり、また、勇気がいる瞬間だと思います。

対面で話すことが難しければ、インターネットから文字を通して相談することも可能です。

 

私も、自分が助けてもらったこと、人の優しさ、温かさを、いつか出会う誰かに受け渡したいと願っています。不完全な人間ですが、完璧を求めて何もしないよりは、ベターを、と考えて生きていきたい、そう思いながら。

 

正しさをさがすこと

 

 

2024年はいまだ、皆心晴れやかに、とはいかない状況で、インターネットの世界を覗くとつい心落ち着かなくなってしまう。

「あやまち」は赦されず、自他の境界をついつい踏み越えてしまいそうになる、自分も含め、そんな様子の人をちらほらと見る。そんなときに「正しさ」というのはなによりも甘いもので、本来他のものに対して抱いている不安や不満を一気にぶちまける機会を、自分に対して与えてしまう。

ひとを叩きたくなるときというのは、自認はどうあれ相当に参っている場合が多いと思うので、きっとみんなもうくたびれ果てているのだろうなと思う。2019年末にコロナ禍が始まって5年。5年というのは人の人生を変えるのに十分な時間で。

日々無辜の人々が命を失うことも、隣人の家に踏み込んで横暴にやり方を変えようとすることも、結局は人間が「もう終わりにしよう」と決める以外にどうしようもない。

そんなことを思い、何ひとつできないことに絶望しながら今日も生きている

 

たりないものはなにもない

 

物心ついたときから、いつもなんだかそわそわとしていた。

いつも自分が不十分なようで、もっと何か別のもので在ったり、

もっとよいものを作らなければいけないような焦燥感を言葉にできないまま、

「これじゃない」と思いながら日々を生きてきた。

 

 

何かに打ち込んだとしても、不足ばかりが頭を占領して、

自分の後ろをろくに振り返らずに過ごしてきたと思う。

 

 

歳をとることは一般的にそうポジティブなことではないのかもしれないが、

私にとってはある種「勝手に自分に課していた独り無限マラソン」のようなものを、

棄権する、というより知らぬ間にドロップアウトしていた感覚で、

肩の力が抜けて生きていることがちょっと楽になった気がしている。

 

(元々なんでもないんだけれど、日々がサバイバルな人間にとってはそんな感覚)

 

 

 

スコットランドの小さな村に来て2年、日本でわずかに出来ていたようなことも中々ままならなくなって、自分が更に無価値になったと感じることもまだあるけれど、最近ふと「おそらく自分に不足しているのは、『たりないものはない』と知ることなのかな」と思った。

もう少し正確に言おうとすれば、「そこにはじゅうぶんに在るので、なにをもっているか見てごらん」という感じかもしれない。

 

 

 

もっと美しい光景を、とか、もっと上手に、とか、描写を、とか、

写真ひとつとっても自分の中には「たりない病」が渦巻いているんだけれど、

そういうものはちょっと横に置いておいて、棚卸しをするのがいいのかなと。

 

 

 

実際に、むかーしに撮った写真をぼーっと眺めてみると、撮った当時は「あーすればよかった」「こうすればよかった」と考えていたことが、大抵大したことないように感じて、それよりも単にじわっと蘇る記憶や感激が胸をくすぐったくさせる。

 

 

 

なにかを決めることをやめてみることもひとつの選択肢なのかなとも思ったり。

 

 

 

また手を動かしてみたり。

 

 

焦らず、でも小走り気味に生きたい。そんな、初夏を感じる1日のおわりです。

スコットランドは夜9時、いやもっと遅くまでもう明るくなってます。

 

 

ありがとうございます!

 

 

 

2年目の冬のあたたかさ

 

 

この場所の更新が年単位になっているような気がしつつ、なんとか舞い戻ってきました。

まだ春と言い切れるほどではないけれど、冬至を越え一月を終えるとぐっと陽が長くなり、あの永遠のような重く寒く暗い冬が遠のいていくのをひしひしと感じるようになり。

そうすると、あの生命力のかたまりのような野草たちが、そこここでまた芽吹き始め、一気に枯れ草色の世界が緑へと変わっていくのです。

夏は真夜中もうっすら地平線が明るく、3時4時には夜明けが始まり、23時を過ぎてやっと再び夜が来る。それに対して冬はそれが真逆になり、日の出から日の入りまでが6時間ほど、それぞれの前後は薄暗いため体感日照時間が3~4時間…といった感じに。

季節によってそれだけの差があるということは、日割りにすると1日あたりの変化が日本に比べるとかなり大きいということで、一旦暗黒の日々を抜けると、一気に生命がほとばしるように世界が姿を変えていく。

昨年はその激しく厳しい自然の移り変わりと共に生きていくことに必死で、気がつけば自分はどっぷり冬季鬱になっていました。(産後うつとのコラボレーション) しかも、冬の時点では状態が悪すぎて、自分がそうなっていることにすら気が付かず、春が来た時点で「冬将軍と戦ってきました燃え尽き症候群」のようになり、ようやく「なんかおかしいぞ」と。

そこからはダラダラと生きることを年間通して日々粛々と実践したため、今年の冬はなんとか無事に乗り切ることが出来た、という次第です・・・。冬、こわい。ビタミンDは神。

そんなこんなで今回オチは特にないのですが、まずはここに戻ってくることから・・・ということで。

今年は、角度を変えてスコットランドの写真を撮ることもしていきたいけれど、ここで暮らしてなんとなく普通になってきたこと、見えてきたような気がすること、そういうことを整理して選んでいく、そんな年にできたらなあと思っています。いつも足取りは亀。

みなさまお身体、心を大切に、ご自愛ください。

ありがとうございます。

しあわせってなんだろう

 

 

昨年の11月に四女を出産したのち、長く暗く寒い冬を経てスコットランドで産後うつになった。

うつとの付き合いは、もはや物心ついた時からなので割と慣れたもんで、「あ〜、今ウツってるな〜」くらいのノリ、無思考状態で日常生活をダレダレになりつつもやり過ごせるくらい、自分を構成するパーツのひとつのようになっている。

がしかし、長く暗く寒い冬、これは予想以上に厳しかった。知らず知らずのうちに精神をやられた。

スコットランドは緯度が高い。そのため夏はほぼ白夜のようだが、反動で8月末頃から夜が目に見えて長くなっていく。ここからはクリスマスまっしぐら。そして夢のようなクリスマス期間終了と同時に、全てが死に絶えたような冬がそこに横たわっている事に気がつき目が覚める。いや、目が覚めてもどうせ暗いので、現実を見なかったフリしてもう一度寝たくなる。失礼を承知で言えば、「Death!」と表現したくなる暗黒の季節だ。

そんなこんなで気がつけば、人に会うのにも神経逆立つような、殺気だった母猫のようになっていた。うつといえば典型的な症状しか知らない、経験したことがなかったので、諸々自覚がないのがまた恐ろしかった。赤ちゃんはかわいいと感じていたし、多少色んなことに対して腰が重くなっていたのは忙しいからだと思い込んでいた。

誰かに話を聞いてもらうにも、英語を話すことすら億劫。いや、そもそも英語が耳に入ることすら疲れる。忌々しい。そんな状態だったのだが、幸いこの国には「Health visitor」なる制度があり、赤ちゃん、子どもがいる家庭は問答無用で定期的に訪問してもらえる。その際に、最近の日常における気分等に関する所定の質問に答え、ある程度以上の点数がつくと地域のかかりつけ医や、広域病院に繋いでもらう形になる。

 

 

・・・といった顛末で、異国の地でジタバタしながら散々人々に助けてもらって、ようやく最近ぽや〜んと復活してきたのであった。

怪我の功名というのか、今人生で一番落ち着いた気持ちでいる。「何かを成し遂げなければ」と焦ることなく、「誰かに怒られるかもしれない」と心の奥でビクビクする自分を感じることもない。良くも悪くもフラットな状態で、なおかつそういう自分が嫌いではないと感じている。

心の中になんとな〜くくすぐったいようなものが住み着いていて、それが時折「にゅにゅにゅっ」と顔を出してくる。誰かが幸せそうに笑っているときや、夜、布団の中でちいさく柔らかい身体をぎゅっと抱きしめたときに。

もしかして、ずっと探していたものは何を成す必要もなく手に入るものだったのかもしれない。いや、それすらも正確ではなく、私にずっと必要だったのは、「しあわせを感じるちから」だったのかもと。

そんなことをぼぉっと考えつつ、夏のおわりを眺めています。

読んでくださりありがとうございます。

どうかあなたによい一日を。

 

 

 

人生を少し分け合おう

 

自分は、色んな気持ちに区切りをつけるために「今起きている事は自分の選択の結果」という考え方をして生きて来たんだけれど、その弊害が今になって出て来てるなぁと最近思う。

自分の基準で外の物事も測ってしまうし、ひとにも優しくない。

そういう考え方をしているとかなり自分を追い詰める事にもなりがち。

幼少期に得られなかった何かに起因する困り事について、大人になってから納得するために、「現在や未来については自分の選択」みたいに考えようとすると、その瞬間はすごく良いことをしてる気分になるんだけど、実際には頭の中で物理的に壊れている部分があったりするからその考え方だけではうまくいかない。

そしてその方法はついつい「お前の人生の現在地はお前の選択」という思考を招きがちでもある。他人には本当の意味で優しくした方がいい。誤魔化さなければいけない関係はもたないことも、多分やさしさ。

ということで、世の中ある程度は「お前のせいじゃーー」で生きたって構わないと思う。それによって他の人の困りごとも少し一緒に背負ってあげられるようになるのであれば。

 

 

巡り、流れゆくもの

 

Samsara

生と死について考えることが多い一年だった。

生まれてくるものと、去っていくもの

そんな風に明確な区切りがどこかにあると思って生きてきた。

 

けれども人間の決め事や儀式を取っ払ったところでは、

死も生もまるで渾然としていて、

渡ろうとする一線すらないのではないかと

体感するようになっていった。

 

消えていく命と、それを糧にして生き延びるいのちと

全てはずっと繋がっているように見えて

いつも静けさの中にただ横たわっていた。

 

大きな鹿の躰も骨も

一片の汚さや恐怖を感じさせることなく

土に還りつつあった

 

 

数字にならないもの

unfinished work

 

ここ数日ネットやSNSから少し離れて過ごしていた。

そこで改めて感じたことは、オンライン、コンピュータ上にある情報がいくらピークを迎えたとしても、

それらはまだ有限であり数字の集まりであり、現実世界の有機的な情報量を超えることはないだろうということ。

 

湿って柔らかい土に覆われ、そこここに豊かな水を湛えた丘を歩くと、

そこに在る音、風、空気、匂い、色、温度、感触、光、全ての情報のあまりの多さに圧倒される。

 

人生が限られた時間だということを考えると、

何にふれ、どこでなにをして生きていくかということを、

昔よりも能動的に選択していく必要がある時代なのだろうと思う。

 

生きることの面白さ、たのしさ、美しさ、つらさ、

全てはきっと曖昧で、0でも1でもないその間にある。

豊かなグレートーンを表現できることが、後悔しない生き方になるのかなあと、

そんなことをぼんやりと想像する夜です。

 

読んでくださってありがとう。

2023年ももう3月だなんて、信じられませんね。

春、たのしみましょう。

 

 

混ざりあったなにか

 

 

ロンドンへ行った。

2015年以来だから、かれこれ8年ぶりに。

 

想像以上に街を歩く人々の顔は変わっていて、

「何者でもなくいられること」

の妙な心地よさを感じた。

 

スコットランドは移民は多いとは言え未だ「いわゆる元々のスコットランド人」の方が多数を占めていて、

そこにいると私はアジア人であり異邦人であり、端的に言えば珍しい人間。

 

それが、イングランドを南下するにつれて

「非白人」というカテゴライズすら薄くなって、

「一人一人が違っているというスタンダード」がじわじわと存在感を示すようになった。

 

私が歩いていてもチラリと一瞥されることもないし、

ただの「Just another one」として透明人間のような感覚になる。

そこに在ったのは孤独ではなくて、不思議にフラットな感情だった。

 

日本にいてすごく孤独を感じたのは、

自分の見た目は明らかに日本人であり、

そこの作法に沿って生きることを期待されている存在であるにも関わらず、

中にインストールされているものは「本来あるべき姿」からは程遠く、

皆が知っているであろう暗黙のルールも、どのように振る舞うことが平和であるかも、

本当には理解ができていなかったからなのかもしれない、と思った。

 

全てが違うことが前提の世界では、私も等しく「また一人の違う人間」としていられる。

 

移民社会というのは本当にバランスをとっていく事が難しいし、

決して手放しに支持をしたいと思える美しいものではないのだけれど、

あの時に感じた「混ざった社会」の安心感のようなものは、

自分の根っこに響く何かであることは間違いない。

 

 

死は生に内包されるということ

 

Dusk

鹿は死んでいた

正確には、その亡骸すらもほとんどその場にはのこっていなかった。

夕暮れの草むらにその命の痕跡は静かにひろがっていて、

一つの生が終わってからそれ程時間は経っていないであろうにも関わらず

恐ろしさや嫌悪感を感じさせるものはなく

ただその場の冷たい空気と、紅く青く染まる景色の中で

時は流れつづけていた

 

命だったものはその存在を手放して

また別のいのちの一部になったのかもしれないし

その先はわからない

 

ひとつだけ確かだったことは、

そこに明らかな生と死の線引きは見えず

全てが静寂と刻々と変化する自然の一部として

なんの優劣もなくそこに在ったということ