物心ついたときから、いつもなんだかそわそわとしていた。
いつも自分が不十分なようで、もっと何か別のもので在ったり、
もっとよいものを作らなければいけないような焦燥感を言葉にできないまま、
「これじゃない」と思いながら日々を生きてきた。
何かに打ち込んだとしても、不足ばかりが頭を占領して、
自分の後ろをろくに振り返らずに過ごしてきたと思う。
歳をとることは一般的にそうポジティブなことではないのかもしれないが、
私にとってはある種「勝手に自分に課していた独り無限マラソン」のようなものを、
棄権する、というより知らぬ間にドロップアウトしていた感覚で、
肩の力が抜けて生きていることがちょっと楽になった気がしている。
(元々なんでもないんだけれど、日々がサバイバルな人間にとってはそんな感覚)
スコットランドの小さな村に来て2年、日本でわずかに出来ていたようなことも中々ままならなくなって、自分が更に無価値になったと感じることもまだあるけれど、最近ふと「おそらく自分に不足しているのは、『たりないものはない』と知ることなのかな」と思った。
もう少し正確に言おうとすれば、「そこにはじゅうぶんに在るので、なにをもっているか見てごらん」という感じかもしれない。
もっと美しい光景を、とか、もっと上手に、とか、描写を、とか、
写真ひとつとっても自分の中には「たりない病」が渦巻いているんだけれど、
そういうものはちょっと横に置いておいて、棚卸しをするのがいいのかなと。
実際に、むかーしに撮った写真をぼーっと眺めてみると、撮った当時は「あーすればよかった」「こうすればよかった」と考えていたことが、大抵大したことないように感じて、それよりも単にじわっと蘇る記憶や感激が胸をくすぐったくさせる。
なにかを決めることをやめてみることもひとつの選択肢なのかなとも思ったり。
また手を動かしてみたり。
焦らず、でも小走り気味に生きたい。そんな、初夏を感じる1日のおわりです。
スコットランドは夜9時、いやもっと遅くまでもう明るくなってます。
ありがとうございます!