混ざりあったなにか

 

 

ロンドンへ行った。

2015年以来だから、かれこれ8年ぶりに。

 

想像以上に街を歩く人々の顔は変わっていて、

「何者でもなくいられること」

の妙な心地よさを感じた。

 

スコットランドは移民は多いとは言え未だ「いわゆる元々のスコットランド人」の方が多数を占めていて、

そこにいると私はアジア人であり異邦人であり、端的に言えば珍しい人間。

 

それが、イングランドを南下するにつれて

「非白人」というカテゴライズすら薄くなって、

「一人一人が違っているというスタンダード」がじわじわと存在感を示すようになった。

 

私が歩いていてもチラリと一瞥されることもないし、

ただの「Just another one」として透明人間のような感覚になる。

そこに在ったのは孤独ではなくて、不思議にフラットな感情だった。

 

日本にいてすごく孤独を感じたのは、

自分の見た目は明らかに日本人であり、

そこの作法に沿って生きることを期待されている存在であるにも関わらず、

中にインストールされているものは「本来あるべき姿」からは程遠く、

皆が知っているであろう暗黙のルールも、どのように振る舞うことが平和であるかも、

本当には理解ができていなかったからなのかもしれない、と思った。

 

全てが違うことが前提の世界では、私も等しく「また一人の違う人間」としていられる。

 

移民社会というのは本当にバランスをとっていく事が難しいし、

決して手放しに支持をしたいと思える美しいものではないのだけれど、

あの時に感じた「混ざった社会」の安心感のようなものは、

自分の根っこに響く何かであることは間違いない。

 

 

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